こんにちは!飛天です。
今日はずっと憧れていた世界遺産の高野山での旅の話しです。
大阪難波から橋本という駅まで行き、
それからこうや花鉄道「天空」という列車で山を登りながら極楽橋駅。
そこから高野山ケーブルに乗りさらにバスで移動という
移動に次ぐ移動でたどり着いた高野山でした。
特に印象的だった金剛峯寺と宿坊無量光院について書きますね!
金剛峯寺での修行体験「阿字観」
金剛峯寺は息を飲むほどに美しいお寺。
檜皮葺屋根や襖絵、蟠龍庭など
壮麗な空間にたたずむ時間が特別でした。
偶然挨拶をした僧侶に誘われて参加したのは、
真言宗の瞑想「阿字観」。
簡単に言えば「大日如来」(大宇宙)を表す「ア」を唱え、
大宇宙と一体になることを感じる瞑想法です。
僧侶は瞑想を導きながら
静かに話もしてくださいます。
私の心に残ったお話しは、
「手放して手放して手放して残ったものが個性」というフレーズ。
文脈は細かく覚えてませんが、
私の個性とは何なのか、
手放していくことで知る事ができるということが分かり
嬉しい気持ちになりました。
次から次に浮かぶ雑念は、
大宇宙のなかにただよいながら
それを捨てていくうちに自分を見つめる、自分になる
そんなふうに受け止めました。
瞑想って難しそうに思っていましたが、
うちでも出来たらいいなと思えるほど
すっきりした体験でした。
(参加費1000円が必要です)
宿坊 無量光院
娘が宿坊協会に予約をしてくれ、
無量光院で予約が取れました。
宿坊での宿泊の経験は初めてで、
わくわくが止まりませんでした。
無量光院につくと、
最初に気づいたのは外国人僧侶も多いということでした。
案内して下さったのも外国人僧侶でした。
テレビももちろんなく
トイレは共同です。
外国人宿泊者も多く、
畳に自分で布団を敷きます。
朝夕の精進料理。
この静けさ。
こんなに静かに過ごしたのは久しぶりです。
お寺はもちろん綺麗に清掃されているのですが、
障子で隔てられただけの部屋でなんとなく人の気配を感じたり、
トイレ、お風呂、布団など、共用する機会は
そのような機会がめちゃくちゃ減っている昨今、
なんでも個で完結できる世の中にあって
「あぁ、誰かとともに生きているんだなあ」と
暮らしの原点を思い起こすよい機会となりました。
自分を取り戻す勤行・護摩祈祷
無量光院では
早朝の勤行、護摩祈禱に参加出来ました。
僧侶たちのお勤めをみながら、
祈りに耳をかたむけていました。
警策?で背中を叩いていただいて
何か私の中から落ちたような気が…しただけかもしれませんが(笑)
自分のことだけではなく
この世の全ての人が平安であるようにという気持ちになり
自分にも心の平安を授かったようでした。
自分を取り戻す一泊だったと思います。
御朱印がいただける宿
チェックアウトの少し前、
御朱印をお願いできました。
本尊は阿弥陀如来様です。
美しいですね。梵字キリークの形も素敵です。
高野山は遠い。
でも行く価値はあります。
町が杉木立に囲まれ、異次元の澄んだ空気です。
ここは地上とは違うなとすぐ気づきます。
気忙しい日常で自分が分からなくなったら、
自分を取り戻すためにまた是非訪れたいと思いました。
おすすめです。
このブログは毎週水曜・土曜20時に更新します。
ぜひ遊びに来てくださいね(^_-)-☆